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そして、合格発表の日 [平24:3回目の挑戦]

平24年(第44回)試験に向けての勉強スタイルや本試験の様子、そして選択式基準点割れ(社一2点)の不合格でどん底に突き落とされるも、なんとか立ち直って4回目の再挑戦を志すまでに至った経緯を書き綴っています。なにかの参考になるでしょうか・・・

【第15回】

幕張メッセで受験した時には半そで短パンだったにも関わらず、街は秋の装い、11月に入りました。ネット上の救済に関する見解も「社一優勢」で収束していました。


本試験直後、「社労士法で救済はない」との書き込みを見た時の落ち込みようからすれば、このころの私の気分はずいぶん前向きになっていました。もっと勉強したいと思いにかられ、「今度は英語を勉強しよう」とか、それまで考えたこともなかった「社労士としての開業」なんていう夢まで見ていたほどです。


なにより、これまで3回の受験を支えてくれた妻と2人の子どもに、どうやって合格を伝えようか・・・ 合格することを前提に、広がる希望で胸が高まっていました。


そして運命の合格発表、11月9日金曜日。この日は会社を休みました。受かっても落ちても、仕事どころではないと思っていたからです。とはいえ、家にいるのも気まずい。そこでマクドナルドに立ち寄り、ノートPCで官報での発表時刻である8時30分を待ちました。


そして8時30分・・・ ありませんでした。私の受験番号。大きく深呼吸をして、もう一度、番号を凝視しました。縦から見ても横から見ても、私の受験番号は無かったのです。徐々に全身がしびれてきました。わめき散らしたくなってきました。


2カ月以上もの間、こんな結果を受け取るために一喜一憂してきたのかと思うと、むなしくて仕方ありません。あちこちのブログや掲示板でも、社一の救済が無かったことが驚きをもって受け止められているようでした。それどころか、厚年の救済待ちの方が合格しているという情報がありました。


官報では合格者の受験番号しか発表されず、合格点や救済科目までは分かりません。官報に遅れること1時間。試験センターのHPで厚年のみが救済されたことを確認すると、輪をかけてむなしさが募りました。事前の観測では厚年の救済待望派は劣勢に立っていましたから、厚年の救済待ちの方は、さぞ喜ばれたと思います。その対極にいる社一の救済待望派であった私は、一気に失意のどん底に突き落とされました。


「ごめん。落ちた。立ち直れない」

妻にメールを送りました。すると、こう返事がありました。

「謝ることではないよ。なかなかできないことをよくやったと思います。自慢のお父さんだよ」


8時30分の官報での不合格確定発表、9時30分の試験センターHPでの合格点・救済科目の発表、そしてネット上に流れる悲喜こもごもの書き込みを読み、ようやく不合格を受け入れてマクドナルドを出たのが昼前11時。帰宅したら2歳の息子が笑顔で迎えてくれました。


少し、癒されました。

【最終回へ】

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